あなたには愛を私には夢を

少しだけ口の悪い私の独り言

社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が、なぜ抑うつ状態と病名がついてしまったのか。その2

その1(以下、リンク先。)の続きになります。

 

shiretsukyouseishitai.hatenablog.com

病状が重くなっていきますので、読みたくない方はやめてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある会社帰りの電車で自宅最寄り駅に着き、降りようとした瞬間、私は自ら命を絶とうとしていました。

頭ではそんなことは考えていません。体が勝手に動いていました。

降りる際、片足を電車とホームの間に落ちるようにして、どうにかなると思ったんでしょう。

周りにいた学生さんたちが私を助けてくれて、「お姉さん大丈夫ですか?踏み外してましたよ!」と爽やかな表情で言ってきた情景などすべてが忘れられません。

あの時私はなぜそうしたのかは今でも分かりません。

楽になれる、その行為が当時の私は正解だと思っていたはずです。

 

もうさすがに限界で、この行為でやっと分かったらしく会社の相談窓口となる部署へ連絡をし、話を聞きあれこれ色んな今後の事を教えてもらいましたが、同じ会社だからどうにもならないはず。と疑ってしまい、話を聞いてくれているのにもかかわらず怒りの感情しかもう生まれないような思考回路になってしまっていました。

その後に、家族に今の状況をすべて話し、助けを求めました。

家族の前で久しぶりに涙を流してしまいました。泣き虫ではない方だとは思っていますが、あんなに家族の前で泣いたことは後にも先にもこの時だけです。

母は私の変化に気が付いていたらしく、そろそろ直接私に質問しようとしてくれていたようで、母なりにどうしたらいいのかとネット検索をして解決策を調べてくれていました。

それを聞いてさらに泣いてしまいましたが、母がある程度当てはまるような病状から病名を導き出してくれていたらしく(でも私にはその場で教えてくれませんでした)、病院に行きどうしたらいいのか教えてもらうのが1番だし、会社に何を言われてもそうなってしまったのなら仕方が無いよ。と私を責めることなく優しく接してくれました。

 

 

 

もう心も身体もボロボロで、寝る前、起きてからも母に会社に行きたくないと何度も言っていましたが、耐えられるところまでは耐えてダメなら早退してきなさい。会社にもう自分で言ったんだから大丈夫よ。と常にプラスのことを言ってもらいながら出社し続けました。

ですが、食事は喉を通りません。

週5勤務の私は朝、夜ご飯は自宅。昼ご飯は会社。残りの休日は自宅。が基本的で、朝も食べれなくなりお昼は飲み物でさえ飲むのが怖く、夜ご飯も家族に説得されているのにやっと飲み物やゼリーがスプーン3口ほどを食べるのが精いっぱい。

週5の昼ご飯は、ウィダーインゼリー1パックと水やお茶などのカロリーの無い飲み物で生活してしまい体重は4日間でマイナス約6キロ。

会社の健康診断で体重を計測して、体重減少に気が付きました。

家でも食べていないのでそのせいもあると思いますが、運動は通勤時のみで休日も外出するような気分にはなれず精神的なものとただ食べないだけで、簡単に体重は減るものなんだと。これでようやく身体的なダメージを私は知ります。

 

母は私が痩せている事に気が付いたらしく、私の好きな関ジャニ∞セブンイレブンとのコラボ商品であるおにぎりなどを夜ご飯に買って来てくれていました。

××のために色んなの買っておいたけど、どれがいい?××が食べないのを私は食べたいから選んで!」といつも通りに接してくれる母に申し訳ない気持ちがいっぱいで、また涙が流れてしまいました。

食べたいけど食べれない。

頭と体の考えている事が違う。

どちらが正しいのか分からない。

どうしたら私はいいの?何がおかしいの?何が本当なの?

頭の中では大混乱でそれを伝えたくても上手く伝えられず、ただただ母にごめんなさい。と謝り続けていた自分を忘れられません。

おにぎりを選んで手に取りましたが、食べようと思えず結局母に謝り、食べることはやめました。

食べたら明日が来る食べたら私は生きてしまう食べたら会社に行かなくてはならないそれなら食べるのをやめてしまおう食べいなしいこれで寝なかったら死ねる。寝るのが怖いなら寝なきゃいいんだ。食べなかったら死ぬ、死ねるんだ

こんな馬鹿馬鹿しいことを考えていました。人間ってダメになると、とことんダメになるんですね。

 

母は関ジャニ∞のメンバーが印刷されているセブンイレブンのチラシを目に付く所に貼ってくれたり、関ジャニの話をして少しでも気分を紛らわすことをしてくれていて、母のしてくれる気持ちをとても理解しているのに、それが逆に申し訳なく、ずっと大好きな関ジャニ∞が視界に入るだけで涙が止まらないこともありました。

考え込んでしまうと「私はなんで関ジャニ∞が好きになったんだろう。」「何故母がここまで関ジャニ∞を私に見せてくるのだろう。」と、どんどんマイナスな方向にしか進めない道を自ら作り出すばかり。

大好きな音楽も通勤時に聴いていましたが、何のために聴いているのかそもそもこのアーティストが何故、私はこんなに好きでアルバムを購入したりFCへ入会しライブに行ったりしているんだろう。こんな事を考え出しては自分で消化しきれず、またマイナスな方向へ。

 

まだ会社には家族の助けもあり行っていましたが、辛くて毎日お昼休みには誰も来ないような所で母に助けの電話をしていました。

母からのアドバイスを元に、もし会社側に不利なことをされた場合を考え、県や国などの相談窓口へ私から連絡をしたり、職務中電話をしたくて席を離れたくても当時、5分以上離れるとチクリと言われてしまうため(もう10分以上は会議室へ呼び出しされた経験があった)そのような機関へは母から電話をしてもらっていました。

もし不利な事を言われたりされたら、国の方が私と一緒に会社へ出社し、会社側と話をしたり最悪は訴えられるようにしてくれる話をし、その前に私ができることは病院に行く事。

私は次の休日である土曜日に話を聞いてくれる病院へ行こう、と決意し母に探してもらいました。

 

 

 

土曜日、私が足を運んだのは精神科。

駐車場で精神科に行くのは嫌だ、私は違う。と母に攻撃的な態度や行動を取ってしまいました。頭ではそんなことはない、きっといい解決策が分かるはず。と思っているのに、手は母を叩き、口からは文句の嵐。

先生は内科も担当しているから、内科で受診をしてもらえばいいんだよ。」と叩いたり文句を言った私を責めることなく病院内へ一緒に行ってくれました。

初診のため、問診票を書くようにと見開きのボードを渡され開くとそのボードいっぱいに用紙が綴じられていて、自分の生い立ちや現在などを細かく記入するようになっていました。どう見ても内科ではここまで質問されないんだろうけど私はもう仕方が無いと、偽りなく自分で記入をしました。

もう書くことでさえ疲れてしまう程で、先生の手元に渡ってからの見開きボードを見たら、あれが私の書いた文字なのだろうか。信じられない、字も殴り書きで先生読めるかな?と急に不安になる程でした。私はどん底でした。

先生は私の話を聞くだけ聞いてくれて、問診票を見ながらの質問をされ話している内に涙が出てしまい、その後は母と先生が話していましたがその話を聞いてまた涙は止まることはありませんでした。先生は「こんな年齢も若くてまだ新入社員レベルの子に対してこれだけの大手さんがそんなことするんだね。なかなかないんじゃないかな?あまり他の先生からも聞いたりしません。もう会社に行ったらダメ会社のことは当分考えたらダメゆっくり今は休む事。自分がちゃんとしていないと何もできないんだよ。それくらい普段のあなたなら認識できるよね?でもよくここまでこの長い期間耐えたね。それは褒めると言うのかすごいと言うのか、その性格がある意味今回は裏に出てしまったんだね。辛いなら辛いって言った方がいいんだよ。経歴からしてあなたは責任感が強かったり結構真面目で少し頑固さんなんだと思う。本当に可哀想だよ。」

先生からの言葉で私はやっと家族以外からの人からも、自分がされてきたことは間違っている。私は悪くない、会社に行ったらいけない、休むしかない。私はやっと解放されるもう言われなくて済むんだ。と嬉しくて涙がまた溢れてしまいました。

初診時は気持ちを抑えるような頓服薬と診断書をいただいて、家に帰宅し週明け朝一で会社に病院を受診し、休職宣言が出ましたと会社の相談窓口へ連絡をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話はここで一旦終わりますが、休職宣言が出てからこの記事を書いている今も私は休職宣言継続中です。

今となったらあっという間に感じている約2年間を記事にできたらなと思っています。

 

 

会社復帰のリハビリのためブログを始めましたので、まだ気持ちも上手く伝えられているのか、ちゃんと内容が分かるような記事になっているのか少々不安ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。