あなたには愛を私には夢を

少しだけ口の悪い私の独り言

社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が、なぜ抑うつ状態と病名がついてしまったのか。その1

初めまして。

このようなタイトルのブログから始まったのにもかかわらず、アクセスしていただきありがとうございます。

脈絡も無く、言いたい事をただ言っているだけです。長いのでお許しください。

読んでいて気分が悪い場合はやめていただいて構いません。

 

最初にこれだけは言わせて下さい。

 

何より自分を大切にしてください。そして私のようにならないでください。

 

 

もう遡ると約2年前からタイトル通りの病状が続いており、現在休職中です。

ですが今はだいぶ回復し、外出や遠出も診断当時より圧倒的に1人でも出来るようになっています。

なぜ今回ブログを始めた理由は、昨年、私と同様の方のブログ記事(以下、リンク先。)をTwitterを通して目にする機会があり、私も今、苦しんでいる人のためにどうにかならないものなのか、など、どんな形であれ辛く苦しい人やもしかして私ってそうなのかな?あるいは友人、同僚がもしかしたら…。とこんなことをわざわざブログとして残しておくのもなんだかなあ、と感じていましたが、関ジャニ∞ファンだけではなく様々な方に目に留まっていただけたらなと思い、残させていただきます。

都合上、なんか端折られてる?と感じる部分があるかとは思いますが、その点は申し訳ありませんが私の気持ちを察して読み取ってください。

hamamichi.hatenablog.com

私はこの方より年上で、一応それなりの企業に勤めるいわゆるOLってやつです。

仕事量は忙しい時は忙しい、暇な時は暇。とある意味メリハリがあり、忙しいと言っても私の場合残業は週5勤務で6時間なんて無いほど、周りの社員の方からも「急ぎじゃないなら帰りなさい。」と言ってもらえるような環境下だったので仕事面に関しては人間関係も良好でした。

 

問題はここからなんです。

 

私はある持病(特定疾患とか障がい者手帳が発行されるような重病ではありません)があり、それは今回の抑うつ状態と病名がついてしまう異動前の職場では疑われたりすることは一切なく、休暇取得時には有給休暇や特別休暇を使用していました。

ある日、異動後の職場で異動前の部署同様の形で休暇取得をしたら、指摘され疑問に思いましたが、それは確かに異動前の職場が人員的な面でもイレギュラーだったため仕方が無いと私も感じ、現部署の正しい休暇取得方法で使用することにしました。

休暇取得後の翌日。

いつも通り、出社をした私に上司が部内全員に聞こえるような大声で入口にいる私に対して休暇内容(持病)を言ってきて、部内の空気が一瞬で重くなりヒソヒソ話があちこちでスタート。私は今までに無いような感情が生まれ、恥ずかしい、どうしようなんて可愛いものではなく、今後私は休暇を取ったらすべてそう思われてしまっても仕方が無い、こんな持病で休暇だなんて他の部の人に知られたら馬鹿にされる。と異動直後に嫌な思いをしました。

その日は私のことを気遣ってくれたのか、逆に話かけにくくなったのか部内の人はまったく声をかけてくることは無く、次の日は優しい先輩(Aさん、男性)がいつも通り仕事とは関係のない話もしてくれるようになりましたが、どこか壁と言えばいいのか目には見えない心の隔たりを感じるようになりました。

 

それからの日々と言うものは今でも思い出したくないくらい辛い日々の始まりです。

 

ある日のことです。上司に会議室へ呼び出され何かあったのかな?私が仕事で何かしてしまったのか。など色んなことを考えていたら、用件は私の持病についてでした。

いつからその持病はあるのか。」「病院へは通院しているのか。」「誰か他の社員に相談した事はあるのか。」「病院へ通院して薬をもらっているのか。」「休暇を取得した日はどのように過ごしているのか。」「検査などは受けているのか。」「持病を改善するようにどうにかならないのか。」「××さんはあの病院がいいと言っていたし、会社にいても通院しやすいから変えてみたらどうだ。」など質問攻めでした。

 

なぜ私は今、上司にこんな質問をされ答えなければならないのだろうか。

家族でもないただの会社で上司って存在の人に私の話したくない身体的なことを伝えなくてはならないのか。と考えた瞬間、頭がグワングワンと誰かに回されているような気持ち悪さと胸がズキズキと経験したことのない痛みを感じましたが、言わないと今後働いていくんだから仕方無く、正直に話しました。

おそらく30分くらいの話し合いだったはずですが、体感的には3時間くらいに当時は思っていました。

夏季休暇取得(学生さんで言う夏休み)も自由に取得ができる会社なので、お盆休みに休む人もいればあえてお盆休みは働いて、その前後など様々な形で休暇を取れる選択肢があります。

私も関ジャニが夏にライブをするなら…などと思い、すぐに休暇日を決めないで申請はギリギリでも可能だったこともあり、休暇取得が会社全体で可能日以降もいつにしようかな~、関ジャニもライブしないから、友人や恋人や家族との予定のために連絡取り合ったりしないとな~なんてゆっくり考えていたら、「××さんさ、休暇をまだ決めていないし××××(持病)のために残しておいて休み取ったら?それの方が自分のためにもいいんじゃない?」と以前よりは小さい声でしたが、周りの先輩に聞こえる声で言われ、恥ずかしくなってしまいましたが、その場で少し反抗をし急いで予定を決め、持病のために休暇を1つも残さない形に私はしました。

だって、持病のために休暇を取得しなければならない。なんて就業規則を確認しても休暇取得規則も確認しましたが記載されていなかったからです。

上司は上司なだけで、もしここで文句を言われたら次長や部長に相談をしよう。と考えていたのでまだ気持ち的には余裕がありました。

夏季休暇を無事取得し、持病が辛い時は特別休暇や休暇取得を会社の規約に従ってきちんと使用し続けていました。

月日は流れ、冬季休暇の季節に。冬期休暇は夏季休暇よりは期間も短いためそのようなことは言われず年を越しました。その間も休暇を取得した際は大声、みんなの前でのあれこれは言われなくなりましたが、ついに会議室に呼び出されるように。

すべて業務時間中でしたが、周りの先輩方はどう思っていたのかは知りません。

私は、私が退社後にあれこれ言ってんだろうな。と今まではそんなことは思ったり考えたりタイプではなかったのに気にするようになりました。

 

 

春になり、新入社員さんや異動で誰か来てくれないかなと微かな望みを持っていましたが、叶いませんでした。

もう私が異動して1年経つし、周りの人がどう思っていようと私は病院にも通い、検査も受けたけど手術をする必要はない。同じように苦しんでいる人はこの世の中にたくさんいるから辛い時は会社を休んで身体を休める事、と病院から言われている!これからも薬を服用し続け、辛くならないように自分で予防はできるかぎりしていこう!完治と言った選択肢はないから仕方が無いんだ!辛くなったら休むしかない!と自分に言い聞かせて(自暴自棄)いました。

 

これ以降、上司だけではなく、1番年齢も近く職務についてアドバイスをいただいていた先輩(Bさん、男性)からも持病について上司と一緒だったり、その先輩(Bさん)だけからも会議室に呼ばれ、あれこれ言われるように。

呼び出されるタイミングは、主に休暇取得後の出社した日や私が給湯室や化粧室から戻ってくるのがいつもより(上司や先輩の中でおそらくその時間勝手に決めて、計り、見ていたとしか思えない)遅いと感じたり、ひどい時は私が同期とエレベーターホールでエレベーターを待っている際に話をしているのを見かけたらしく、それでさえ意味の分からない理由をつけられあれこれ言われるようになり、同期と会うのも嫌になり化粧室にいても、先輩方がいなくなったなと感じたら個室から出て急いで手を洗い、化粧直しをして席に戻る。そんなことをするようになっていました。

会社で先輩たちや同期はタバコを吸いに行ったり飲み物を買いにコンビニへ出かけるのに私は休憩もできない、どうしたらいいんだろう。と考えるようになり、もうこの時は会社に行くのが嫌になり、まだ短い人生だと思いますが今まで生きてきた中で1番辛かったです。

 

 

唯一、家に帰るのはとても嬉しく、家族がご飯を作ってくれたりお風呂の用意をして待っていてくれたのは何より救いでした。

家族を困らせたらいけない。そう思っていた私は、まだこの時点では今の辛いことを伝えられていませんでした。

いつも家族がお昼ご飯のお弁当を作ってくれるのですが、会社に着くとお腹が空いている、喉が渇いたと言った人間の生理的欲求面でさえ微塵も無くなってしまい、お弁当も少しは食べないと心配されるからといったそんな理由でおにぎりを半分だけ食べたり、おかずを少しずつ食べたり、デザートだけ食べたりなどほんの少しだけ食べて疲れているから食べられない、と嘘をついて1ヶ月くらいやり過ごしていました。

 

その間も、当たり前ですが上司や先輩(Bさん)には会議室へ呼び出され言われていましたが会社にはちゃんと行っていました。

でも化粧室や更衣室で会う他部署の女性先輩方からは「ただでさえ色が白いのに最近顔色どうしちゃったの?」「元気が最近ないよね。何かあったの?」「その顔色でファンデーションする意味ないって。」と言われるようになってしまい、自分の顔を鏡で見てもなぜそんなことを言われなくてはならないのか分からなくなっているくらい、自分のことが何も分からないようになっていました。

でもこんなの一瞬のことだろうし私はこんなんじゃない。弱くない!と思い込み、自分のことは自分が1番知っていると大きな勘違いをしていたことに気が付いていなかったんです。

 

その2へ続く。