社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が、なぜ抑うつ状態と病名がついてから現在までその2
その他の更新をしたり、期間が少しだけあったりですみません。
どこでどう区切ったほうがいいのか。など考えていると時間がかかり、身体に負担が多く遅くなってしまいます。
その1(以下、リンク先。)の続きになります。
shiretsukyouseishitai.hatenablog.com
団扇作りをするのに私はパソコンのwordを利用して文字を印刷し、カッティングシートに下書きをしてカットしていくのが私の昔からの方法だったのですが、パソコンをこの1ヶ月触ったのはスバラジ(以下、リンク先を是非ご覧ください。)を聴くためにだけ開いて閉じるしかしなかったので、ブックマーク登録済みの私は文字を打つこと自体が仕事以来になってしまっていました。
wordは開けましたが、パソコンの画面を見ることが恐怖に感じてしまいキーボードで文字を打つことが出来ませんでした。
ブラインドタッチが当たり前で毎日仕事をしていた私ですが、大好きな関ジャニ∞の団扇作りで仕事に関係ないことでさえ使用することが難しくなっていることがまた判明し、ここをまず今は克服しようと努力を始めます。
当時の私が思い付いた案は、
・関ジャニ∞の曲を聴きながら。
・関ジャニ∞のパンフレットやライブに私は行くんだ!と気持ちを高めさせる。
・母や友人に団扇の相談をしつつその勢いを利用して。
確かこれくらいでした。
わずか3点ほどですが、その1で私が団扇の材料購入では難しかったその先のことを考えられるようになりました。
当時はこうして1歩でも進めている事に対して、嬉しいなどプラスの考えをしている余裕はまだありません。
果たしてそれが良い事なのか、悪い事なのか区別が付かなくなっていました。
今までより時間は大幅にかかってしまいましたが、なんとか団扇は完成。
ライブまであと1週間ほどの夜、また前回のライブ時のことを思い出し不安になりました。
「知っている友人が今回もいてくれているけど、それ以外の子は前回の子とは違う子も中にはいるからどう誤魔化そうか。」
「食欲も前ほどではないけど友人と食べるとなった際に、心配されないか…。」
考えだすと止まりません。
食欲は落ちていたウィダーインゼリーで生かされていた時よりは、食べるようになりましたが定食1人前なんてのは遠い世界の話で、ご飯は子ども茶碗でも食べきれず、しゃもじ1回分で精いっぱい。最近はやっと大人茶碗で半分は食べられるようになりました。
ですが食事全体としては、朝より昼の方がまだ食べることが出来るようになり、夜は朝より食べれないのが現在も続いています。
友人たちにもし質問されたら「今、ダイエットしているんだ。」そう伝えればいいんだ!として深く考えることはやめました。
これもまた1歩でも進めているのに、先生に報告しようなど思わないんです。
相変わらず肝心な部分は最初に休職宣言を告げられた日からダメダメなままです。
いよいよライブ当日。
まだ会社の事は考えないようにして時間に間に合うように会場へ向かいました。
途中駅から、私の乗った電車に現状を少しだけ伝えた1人の友人が乗ってきました。身体の心配は連絡を取り合っている中で済ませておいたので、電車内では今回のライブについて、ライブはアルバムを引っ提げてだったのでそれについてあれこれ関ジャニ∞の話しかしませんでした。
もう会場最寄り駅へ到着。
一気に身体が熱くなり、心音が聞こえ始めました。
関ジャニ∞のライブに対してではなく、事情を知らない友人たちに会うことが怖くなりゆっくり向かいたいと友人に伝え、降りる同士たちよりは遅く改札を通り会場へ。
当時は瞬時に理解することは出来ませんでしたが、関ジャニ∞のことに対して発生する混雑や恐怖感、不安感は少し休んだりすれば収まったんです。
これで私は会社に対する恐怖感や不安感だけなんだと気が付く事が出来たのは、今から9ヶ月ほど前です。本当にまだ最近やっとなんです。なんでこんなに遅かったのだろう。と今は感じるばかり。
友人たちとも合流し、1年ぶりの再会(ツアーでないと会える距離に住んでいない子も多々いるため)をしてとても嬉しかったことは覚えています。
中には「痩せた?」「前より白くなったよね?これ以上白くなってどうするの?(笑)」こんなことを言われましたが、痩せてしまったのも色白になったのもなりたくてなったことではありません。
「仕事が忙しくて痩せられたの~!」「白くなったのはよく分からない~」といつもの私を全面的にして、笑いを取りその場を終えられました。
ライブ中は体調を崩すことなく、規制退場待ち。
作った団扇に気が付いてもらいファンサをもらうことが出来ました。
あんだけ辛い思いをして作ったかいがあったと何度も1人で噛みしめました。
団扇の材料を購入するのに協力してくれた母にも、報告と感謝を電話ですぐ伝えました。それくらい当時の私は嬉しかったんです。(いつでもファンサをもらったら嬉しいですよ!)
友人たちも「よかったね~」と言ってくれるような子しかおらず、それもまた嬉しかった。
各々の路線があるので、会場を出てまた来年!といつものお決まり挨拶をして、私は行から一緒の友人と帰りました。
帰りもまた、ただただ関ジャニ∞の話ばかり。
先に降りる友人の駅が近くなった時、私は「休職が長引きそうなんだ。でもこうして今ライブには迷惑かけてしまっているけど、行けれているから許してほしい。」と口が動いていました。
友人は「私のことは気にしないで。身体を大切にしてよ。今日もちゃんとメンバーが来たら大声で名前呼んでくれたし、呼んでたし(笑)」といつも通りで返してくれてホッとしました。
友人が先に降り、私はまた1人で電車。
身体は疲れていたようですぐ寝たのを覚えています。友人の降りた駅から次の駅まで起きていた記憶がありません。
疲れているせいかもしれませんが、寝られるようになったことはその当時から改善出来て良かったなと思っています。
年を越し、関ジャニ∞もツアーが終わり春が近付いてきました。
この病気の原因となった発端からもう2年。
休職宣言が告げられてから約9ヶ月。
会社からも連絡が頻繁に来るようになり、面談をこれからはしていくことに。
病院の先生からも面談に対しては許可が出たのであとは私の気持ち次第。
悩みましたがこれからの私のためにと考え、面談を受けることに。
私の件に関しては、内容が女性特有だったのもあり、先生からも「女性社員の方がいてくれたら話をしやすいかもね。」と会社に伝えていたので、ちゃんと女性職員の方が必ず面談時に来てくれていましたが、やはり相談窓口の役職クラスの方は全員男性。
会社に対して、私が休職している原因をすべて話してあるため男性に知られるのが怖い、理解してもらえないなどの考えはなかったのですが、先生は「その可能性はまだ今の私の精神面や身体的な面で捨てきれないから。」とはっきり言われた時、ショックになったのは確かでした。
全然私は、休職宣言されてから変わっていないのだろうか。とマイナスに考えてしまい急に面談をする事が怖くなってしまいましたが、そこを乗り越えないといけない。と私の中でまた1歩ですが進むことが出来たんです。
この時、「これはもしかして自分自身に言い聞かせて、行動に表していこうとしているのかな?」と漠然とですが思うようになりました。
面談当日、場所は会社からは遠く私の自宅に近い某所。
初めて会う相談窓口の男性職員の方はとても優しく、まず最初は「今回の件で~」と謝罪されました。頭を下げられ慌ててしまいました。
もちろん女性職員の方も同じく頭を下げられていました。
私より何十歳も上の人が、こんな若い女に頭を下げているのだろう。と周りからはどう思われていたのか当時は考えませんでしたし、そういう余裕はまだありません。
約2時間ほどで面談は終わり、その場で相談窓口の方とは別れ私は帰宅することに。
付近には私がよく見たりするブランド店がありますが、疲れていたので家に帰りたい気持ちとまだ長時間買い物をすることにしかも1人では…と抵抗がありました。
帰宅後、家族に面談の報告をしながら夜ご飯を食べました。
面談で感じた事は、男性だからと言った理由で緊張はしなかった。
相談窓口の人とはいえ、会社の人だからと疑う心を捨てきれない。
今回の面談をして私はどう思われたのだろうか。伝えたい事、質問内容に対して答えられていたのだろうか。
すべて不安しかありません。
今でもこの不安に思ってしまう症状はいくら薬を飲んでも、心が落ち着いているなと私は感じていても発生してしまいます。
春を終え、夏を過ぎ、季節は秋になりました。
家族には休職宣言前に自分の状況を伝えられず、八つ当たりで叩いたり暴言を吐くようになっていました。もう番犬のような噛み付き犬を想像していただけたら分かりやすいです。
私はもちろん家族を叩きたくもないし、暴言を吐きたくもないのに勝手に手や口が動いてしまっていました。
秋には八つ当たり行為は一切しなくなくなりました。
徐々に当たってしまう回数が減り、家族と居る家の中や外出中は気持ちが落ち着くことに気が付き始めます。
服用中の薬も身体に合っている事はもちろんですが、何より私自身がこの病気について第三者(家族や友人、医師、相談窓口の方)の目線で捉えられるようになり始めました。
「何故、私は今こうして会社に行かず家にいるのだろうか。」
「どうして私は神経科に通っているの?」
「人と会うことに対して恐怖を感じるのだろうか。」
「会社の事を考えると心臓がドキドキしたり、頭痛がするようになってしまったのか。」
「いつになったら今まで通り(普通)の生活が出来るのだろうか。」
手元にあった裏面が真っ白な広告に連想ゲームのように繋げ、書き込み、考えました。
当時の私には、したいことを頭で考え、行動(書く)にして残す。と言った学生時代勉強をみなさん嫌でもしていたはずですが、とても難しく、辛くかなり負担でした。
難しいのは、頭で思うことと行動が合わない・正しくない と自分で1人でパニック状態に陥ってしまうだけだと理解以降、落ち着くように心がけ、今でもその症状が出た場合は言い聞かせ、大きな問題にはなっていません。
この頃から会社の事を考えても春より夏。夏よりも秋。と心臓がドキドキしたり、頭痛がするなどの精神面、身体的にも表れてしまう症状はわずかですが少なくなりました。
日常生活面で落ち着いているからこそだと私は感じ、会社の事を難しく考えないようにしつつも、考えなくてはいけない時をあえて作るように自分自身で負荷を頃からかけるように。
簡単に言うと訓練のようなもので、これも私からすると大きな1歩です。
その3へ続く。