あなたには愛を私には夢を

少しだけ口の悪い私の独り言

社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が、なぜ抑うつ状態と病名がついてから現在までその1

先日更新させていただきました、1、2(以下、リンク先)をお読みいただきありがとうございます。

shiretsukyouseishitai.hatenablog.com

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自分で読み返すと、誤字、脱字があちこちにあり見つけて訂正したりしていました(笑)そんなでも伝わっているのかなー?なんて思いますが、どうであれ私は私の中で忘れたくないので記事にしています。

 

病院から休職宣言が記載された診断書を手にした私は、「いただいたけどこれをどう相談窓口へ伝えたらいいのだろうか…。」「朝出社しなくなったら上司や先輩(Bさん)はどう思うのだろうか、何と言われてしまうのか。」とマイナスな考えしか生まれい。

なんて言われてしまうのか怖くて会社への連絡は、母に付き添ってもらいながら電話をしました。

相談窓口の方に「休日中に家族の勧めで病院(内科で精神科も診てもらえる)へ行き、現状を伝えたら休職宣言が記載された診断書を受け取りました。すみません、本日から1ヶ月休職させていただきます。」と伝えたら、「診断書を送ってほしい。とりあえず相談窓口から所属部署へは今日、体調不良で休暇連絡をしておくから安心して。」と意外にもあっさり。逆にこれはこれで心配になりました。

相談窓口宛に診断書を発送を終えた瞬間、突然力がフワッと抜けた今までに感じたことのない脱力感と、目には見えない何かから解放された気分になり、身体が軽くなったような感覚。

おそらくそれが私の中で ”普通” という状態に若干ですが近づけた第1歩目だと思います。

 

担当医からは「しばらくは身体をまず休める事が大切だから、必要以外は外出をしないでご自宅でゆっくり休む事。でも自分であれがしたいこれがしたいと思うなら、して大丈夫だからね。今の体調だと難しいと思うけど、その気持ちはなくさないでご家族の方は××さんの事を十分理解してくれているんだから、甘えるんだよ。あなたは自分で何かを解決しようとして人に頼るのが嫌だって気持ちが強いんだし。」といただいた意見をちゃんと守れば今まで通りに戻れると信じ、5日間は外出せず、ただ家でゆっくり身体を休める事にしました。

私は友人からの連絡でとても大切なことを忘れていたのを思い出し、相談窓口へ連絡をしました。

 

すみません、休職宣言中で不要な外出は禁止なのですが、関ジャニ∞のライブに行ってもいいのでしょうか?

 

同行者である友人が当選していて、行く予定をしていたのを忘れていたんです。今までの私ならどんなに学生生活、就職活動が忙しくてもその合間を縫ってライブに行っていたはずなのに、もうダメダメです。(相談窓口の方には私が関ジャニ∞のファンだと知っている人が1人いるため関ジャニ∞のライブと素直に説明しました。)

もうすぐだね!当日は何時に会場にいるかな?アリーナで前の方だから早めに入場したいんだけど…。」

この連絡が無かったら本当に当日になってもあの頃の私なら忘れているはずです。

相談窓口の方からは「せっかく当選したライブなんだから、自分で行けそうなら行くのがいいと思う。こんなに症状が出る前から申し込んだりしていたことだし、会社側からは行かないで、行くなとは言えないし、せっかく大好きな関ジャニ∞のライブなんだから、ご友人さんたちとも楽しんできてください。」と連絡があり、一安心。

 

 

その他の友人との連絡も私がすべてしていたことも忘れていたので、急いで連絡をしました。

「ごめんね、体調があまり良くないの。でも頑張っていくし風邪とかではないからさ!」と1人を除いた友人たちにはいつも通りにし、その1人の友人には「仕事が忙しくて疲れがたまってしまっているようで体調があまり良くないの。当日会場に向かう予定だよね?迷惑をかけてしまうかもしれないけどいいかな?体調が悪くなったら頼ってもいい?」と病状をだいぶ濁して、会った時に質問されたら適当にそれなりに言えばいいや。と重く考えるのはやめました。

 

ライブ当日、もちろん団扇を作っているような気力はいくら休職中でも無く、その前でも作るって考えがなかったようで前からの団扇を持っていくことに。

 

友人と待ち合わせをして体調が悪いから急行に乗るのは人が多くてどうしても辛いから、ローカルで行きたいとお願いをしたら、受け入れてくれて乗車人数が圧倒的に少ない電車で最寄り駅に到着しました。

車内では友人からのどうしたの?何があったの?など心配の言葉に、お菓子や飲み物を私のために多めに購入して持ってきてくれた優しさに涙が出そうでしたが、我慢をしてお菓子や飲み物を受け取り、少しだけ病状を伝え今は会社を休んでいる事を伝えました。

友人は、「私にも言ってくれていたらよかったのに。でもそうやって休める事が出来てよかったじゃん。今こうしてライブに行けれているしさ。本当に辛いならいつでも連絡してね。もちろん、今日辛くてもね。」と私の事を決して責めませんでした。

ここでだいぶ緊張していた気持ちがいい意味で緩み、他の友人とも無事合流し、会場内へ…。

周りは全員学生で私だけ社会人で、1年ぶり(基本、ライブでしか会えない距離に住んでいるため。)お互いの近況を報告し合ったりこのライブはどんななんだろうなど毎年お決まりの会話が弾みました。

今となったらこの時は、会社でされたり言われてきた事を忘れていられました。

 

ライブが始まり、ライブが終わりました。

 

規制退場中はアリーナ席で前方ブロックのためもあり、だいぶ待つことに。

母には「ライブが終わったよ、とてもいい席で私はファンサをもらえた。行って正解だった。ありがとう。」とメールをしておいたので私の気持ち的に落ち着ち、メールを作成中は友人たちとライブのあれこれを話したり、ファンサ(ファンサービスの略称※手作り団扇などで好きなメンバーから反応をしてもらうこと)をしてもらったなど関ジャニの話をメインに、就職活動が近づいているなどの各々の悩みを話していましたが、私は忙しい。学生に戻りたいと心配をかけたくないし、今の状況をこの楽しい場で伝えたら空気は重くなるだろうし…と色んな気持ちがあり、そんなこんなで最寄り駅、そしてみんなが乗り換える駅に到着。

さすがに帰りは急行ではないと乗り換えの時間や周りの友人にも申し訳なく、疲れたと言い、友人たちにしがみつくような形で乗り切りました。

幸いにも周りは同じ同士ばかりなので女性が100%の状況。あちこちで関ジャニ∞の話が聞こえるような空間のため、満員電車は満員電車でも窮屈には感じませんでした。

 

伝えている1人とは途中まで一緒なので帰りも今日の感謝と、いつ完治するのか分からないし今後のツアーに影響が出てしまったらなど伝えられることは伝え、友人は乗り換え駅のため下車しました。

1人で電車に乗ることが辛く、誰かが私を見てどう思うのか急に不安になり体調が悪くなってしまい、一旦降りて外の空気を吸って落ち着こうと思いましたが、帰宅するのが遅くなる方のが精神的に辛いと感じ、目を閉じ無理矢理寝るように。

母には電話を鳴らしてもらって起きるようにしていたので、起き、駅まで迎えに来てくれた母の車に乗りました。

母からは「今日はどうだった?ファンサもらったんだよね?行って正解だったんだよ。友だちたちは変わらなかった?不安がられたりはしなかった?」と質問攻めだったけど、いつも通りが何よりも嬉しくて嬉しくて。

家に着いてからは、すぐお風呂に入り死ぬように寝たのを覚えています。

相当身体には負担だったんだなと。

 

またしばらく家で休み、相談窓口からは「ライブには行って帰って来れましたか?楽しめた?今は体調どうですか?」とメールでのやり取りを数回し、あっという間に1か月の休養宣言期限日間近に。

診断書は1か月の休養、出社禁止なので病院で先生から復職可能か診察してもらって、結果を記載した診断書をまたいただいて下さい。」と連絡があり、久しぶりに会社のことをちゃんと考えさせられ、1か月前と同じような気持ちに家の中で逆戻りしてしまいました。

 

これではいけない。でも会社の事を考えるとどうしても胸が苦しい、心音が聞こえるようになり、目の前の世界がグワングワンして頭を誰かに回されているように見えてしまい、体がポカポカして汗が出てしまうんじゃないかと思うくらいの感覚になり、親を叩いてしまったり暴言を吐きたくなってしまう気持ちが一気に思い出され、1人で泣いてしまいました。

病院に行き、先生からは「普段の生活では少しずつは改善しているので一度復職可能の診断書を書いて会社の方との面談や産業医との面談で判断してもらうのが1番だと思います。」

 

 

 

 

え…。

 

 

 

 

嘘でしょ…。

 

 

 

 

私こんなに辛いって…。

 

 

 

 

先生に助けてって言っているのに…。

 

 

復職可能と記載された診断書をいただいたと相談窓口に伝えざるを得ない私は、相談窓口、産業医との面談を行い、あっという間に復職日が決まりました。

 

 

どうしても納得がいかない私は、母に助けを求め、再度病院へ行き今の自分を改めて伝え、再び休職宣言の診断書今回は期間が延びました)をいただき相談窓口へ相談することに。

これはまた当時の私にとってはとても負担で、復職可能の診断書を提出して産業医とも面談をしたのにまた休職宣言の診断書。しかも期間は延びたので何と言われてしまうんだろう。ここまで休職期間が長いと所属部署からはどう思われ、相談窓口もどんな口実で休暇と言っているのか色んな事が心配するように。

 

完全に1ヶ月前以上より辛く、先生からは「若いし、話している姿も表情もだいぶ良くなったからと思ったけど、難しいんだね。ごめんなさい。」と診察最後に伝えられ、なんだかとても言葉では表すのに難しい気持ちになりました。

でも先生は私にとって、今後のアドバイスや会社に対してなど先生だから私は偉い、私の言う事は間違っていない、など押し付けたりするような方ではなく、会社に行くな、と言ってくれているし、謝ってくれるくらいの方で、もう通わないというような気持ちにはなりませんでした。それは今、通院をしていますが1度も思ったことはありません。

 

 

また休職宣言中の私は少しずつ外出するように心がけるようになります。

 

でも1人では不安で常に母と近所のスーパーやデパートへ買い物に行くのがやっと。

同じスーパー売り場にいるのに、母と離れただけで気持ちが落ち着かなくなってしまうのでカートを私が押したり、荷物を持ったり周りからしたら優しい娘に見えていたら…と今は思いますが(笑)、当時はそんなことは考えられず、幼稚園生に戻ったように母から離れない大きい子どもにしか思えていませんでした。

邪魔なんだろうな、一緒に買い物に行くことは社会人になっても経験はあるけど、あちこち勝手に売り場を見て、携帯電話でレジに並ぶから来てと呼び出されるのが当たり前だったのに、急にこんなにずっといたら嫌だよね…と常にマイナスマイナスの考えしかまた生まれないようになってしまったんです。

 

せっかく外出できても考えることは常にマイナス

 

頭で考えることと体で表すことは正反対

 

こんな日々が以降、約半年間続きました。

 

ですが相談窓口の方とはメールで月1だったり2か月に1度だったりと基本連絡が来ないため、私も連絡は来たら返すしかしておらず、精神面的にはまた少しずつ落ち着くことはでき始めていました。

 

 

 

そんなこんなでもう年末です。

 

関ジャニ∞はこの数年冬のドームツアーが基本になったので申し込みを経て私は落選しましたが友人たちが当選し、数公演行くことになり、団扇を作ってみよう!と気持ちが生まれたので久しぶりに頑張ろう!となりましたが、団扇を作るのに材料が手元にない…。

ネットで団扇やカッティングシートは購入できるけど、お気に入りの色や加工をするのには渋谷の東急ハンズに行かないといけなかったんです。

自宅からは決して遠くないし、在来線で行ける。でも1人で行くのは怖いし、友人をわざわざ巻き込むのも…とすぐに心が折れ、明らかに私が落ち込んでいたらしく母が声をかけてくれて、伝えたら「じゃ車で私が運転して行ってあげるよ!今回もファンサもらうためにさ!せっかく作るのにこんだけ時間があるのも学生以来なんだから~もう文字は考えた?相談に乗るよ!」といつも通りの母にまた涙が出そうに。

 

数日後、母の運転で渋谷の東急ハンズへ。

車で渋谷に私も運転で何度も行ったことはあるし、その他都内もガンガン車を走らせていたのですがとても遠く感じました。

でも、友人たちと乗った人のいない電車より気持ちは落ち着けることが分かり、今の私は家族や自分の友人以外は拒んでしまうことを知り、その部分を改善していかないと復職できないんだ。とまた1つ”普通”に戻るため考えることが出来ました。

 

お店の方に上手く伝えられるのか心配で、母にも売り場まで来てもらい必要な材料を購入しハンズ付近の百貨店などで買い物をし、ファミクラ(ファミリークラブの略※ジャニーズ事務所でポスターやジャニーズ所属グループの限定映像が観れたり、FC年会費を支払えたり、質問できたりする場所)へも久しぶりに行きました。

関ジャニ∞の映像を観て帰る、ポスターも写真を撮って帰る。と自分に言い聞かせていたので、混雑していたら嫌だなと感じていましたがすぐ映像も流れ写真撮影もして帰宅することに。

 

帰りは疲れて寝ていたらしく、起きたら自宅付近でした。

 

 

普段なら友人と買い物に行くことが多い団扇の材料でさえ大変になっていたことを今となればなんでだったのだろう。と思いますが、当時の私は母にこのことを相談してみよう友人にお願いしたら購入してもらい届けてもらうか発送してもらえないかな。などその先のことを考えられるような余裕がまだ出来なかったんです。

 

 

その2へ続く。