あなたには愛を私には夢を

少しだけ口の悪い私の独り言

コメントをいただきました。

社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が~その1、その2と記事にし只今、~現在治療中の私について作成中です。

決して打つのが遅いわけではなく(それなりにパソコンは出来る方です)、何からどう伝えたらよいのか残しておきたい事がたくさんあるため時系列にしているつもりですがその5くらいまでになりそうな勢いです。

 

そもそも私がブログを始めるきっかけになった、(以下リンク、ご確認ください。)の方からコメントをいただきました。

hamamichi.hatenablog.com

その記事(以下、リンク先。)

shiretsukyouseishitai.hatenablog.com

 

とても驚きました。2016年始まって1番驚き。(それ以外にお前の人生何もないのかよ!とか思った人、まさにその通りです(笑))

 

私が一方的にリンク先として貼り付けしたのにもかかわらず、コメントをいただいました。

コメントが来ました。とメールが届き「削除しろ」、「気分が悪い」や「関ジャニ∞の名前を出すな」など言われてしまうものかな?と思っていましたが、まさかのまさかで。

どうやらはてなブログには返信機能が無いらしいので、感謝の気持ちとして記事にさせていただきました。

社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が、なぜ抑うつ状態と病名がついてしまったのか。その2

その1(以下、リンク先。)の続きになります。

 

shiretsukyouseishitai.hatenablog.com

病状が重くなっていきますので、読みたくない方はやめてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある会社帰りの電車で自宅最寄り駅に着き、降りようとした瞬間、私は自ら命を絶とうとしていました。

頭ではそんなことは考えていません。体が勝手に動いていました。

降りる際、片足を電車とホームの間に落ちるようにして、どうにかなると思ったんでしょう。

周りにいた学生さんたちが私を助けてくれて、「お姉さん大丈夫ですか?踏み外してましたよ!」と爽やかな表情で言ってきた情景などすべてが忘れられません。

あの時私はなぜそうしたのかは今でも分かりません。

楽になれる、その行為が当時の私は正解だと思っていたはずです。

 

もうさすがに限界で、この行為でやっと分かったらしく会社の相談窓口となる部署へ連絡をし、話を聞きあれこれ色んな今後の事を教えてもらいましたが、同じ会社だからどうにもならないはず。と疑ってしまい、話を聞いてくれているのにもかかわらず怒りの感情しかもう生まれないような思考回路になってしまっていました。

その後に、家族に今の状況をすべて話し、助けを求めました。

家族の前で久しぶりに涙を流してしまいました。泣き虫ではない方だとは思っていますが、あんなに家族の前で泣いたことは後にも先にもこの時だけです。

母は私の変化に気が付いていたらしく、そろそろ直接私に質問しようとしてくれていたようで、母なりにどうしたらいいのかとネット検索をして解決策を調べてくれていました。

それを聞いてさらに泣いてしまいましたが、母がある程度当てはまるような病状から病名を導き出してくれていたらしく(でも私にはその場で教えてくれませんでした)、病院に行きどうしたらいいのか教えてもらうのが1番だし、会社に何を言われてもそうなってしまったのなら仕方が無いよ。と私を責めることなく優しく接してくれました。

 

 

 

もう心も身体もボロボロで、寝る前、起きてからも母に会社に行きたくないと何度も言っていましたが、耐えられるところまでは耐えてダメなら早退してきなさい。会社にもう自分で言ったんだから大丈夫よ。と常にプラスのことを言ってもらいながら出社し続けました。

ですが、食事は喉を通りません。

週5勤務の私は朝、夜ご飯は自宅。昼ご飯は会社。残りの休日は自宅。が基本的で、朝も食べれなくなりお昼は飲み物でさえ飲むのが怖く、夜ご飯も家族に説得されているのにやっと飲み物やゼリーがスプーン3口ほどを食べるのが精いっぱい。

週5の昼ご飯は、ウィダーインゼリー1パックと水やお茶などのカロリーの無い飲み物で生活してしまい体重は4日間でマイナス約6キロ。

会社の健康診断で体重を計測して、体重減少に気が付きました。

家でも食べていないのでそのせいもあると思いますが、運動は通勤時のみで休日も外出するような気分にはなれず精神的なものとただ食べないだけで、簡単に体重は減るものなんだと。これでようやく身体的なダメージを私は知ります。

 

母は私が痩せている事に気が付いたらしく、私の好きな関ジャニ∞セブンイレブンとのコラボ商品であるおにぎりなどを夜ご飯に買って来てくれていました。

××のために色んなの買っておいたけど、どれがいい?××が食べないのを私は食べたいから選んで!」といつも通りに接してくれる母に申し訳ない気持ちがいっぱいで、また涙が流れてしまいました。

食べたいけど食べれない。

頭と体の考えている事が違う。

どちらが正しいのか分からない。

どうしたら私はいいの?何がおかしいの?何が本当なの?

頭の中では大混乱でそれを伝えたくても上手く伝えられず、ただただ母にごめんなさい。と謝り続けていた自分を忘れられません。

おにぎりを選んで手に取りましたが、食べようと思えず結局母に謝り、食べることはやめました。

食べたら明日が来る食べたら私は生きてしまう食べたら会社に行かなくてはならないそれなら食べるのをやめてしまおう食べいなしいこれで寝なかったら死ねる。寝るのが怖いなら寝なきゃいいんだ。食べなかったら死ぬ、死ねるんだ

こんな馬鹿馬鹿しいことを考えていました。人間ってダメになると、とことんダメになるんですね。

 

母は関ジャニ∞のメンバーが印刷されているセブンイレブンのチラシを目に付く所に貼ってくれたり、関ジャニの話をして少しでも気分を紛らわすことをしてくれていて、母のしてくれる気持ちをとても理解しているのに、それが逆に申し訳なく、ずっと大好きな関ジャニ∞が視界に入るだけで涙が止まらないこともありました。

考え込んでしまうと「私はなんで関ジャニ∞が好きになったんだろう。」「何故母がここまで関ジャニ∞を私に見せてくるのだろう。」と、どんどんマイナスな方向にしか進めない道を自ら作り出すばかり。

大好きな音楽も通勤時に聴いていましたが、何のために聴いているのかそもそもこのアーティストが何故、私はこんなに好きでアルバムを購入したりFCへ入会しライブに行ったりしているんだろう。こんな事を考え出しては自分で消化しきれず、またマイナスな方向へ。

 

まだ会社には家族の助けもあり行っていましたが、辛くて毎日お昼休みには誰も来ないような所で母に助けの電話をしていました。

母からのアドバイスを元に、もし会社側に不利なことをされた場合を考え、県や国などの相談窓口へ私から連絡をしたり、職務中電話をしたくて席を離れたくても当時、5分以上離れるとチクリと言われてしまうため(もう10分以上は会議室へ呼び出しされた経験があった)そのような機関へは母から電話をしてもらっていました。

もし不利な事を言われたりされたら、国の方が私と一緒に会社へ出社し、会社側と話をしたり最悪は訴えられるようにしてくれる話をし、その前に私ができることは病院に行く事。

私は次の休日である土曜日に話を聞いてくれる病院へ行こう、と決意し母に探してもらいました。

 

 

 

土曜日、私が足を運んだのは精神科。

駐車場で精神科に行くのは嫌だ、私は違う。と母に攻撃的な態度や行動を取ってしまいました。頭ではそんなことはない、きっといい解決策が分かるはず。と思っているのに、手は母を叩き、口からは文句の嵐。

先生は内科も担当しているから、内科で受診をしてもらえばいいんだよ。」と叩いたり文句を言った私を責めることなく病院内へ一緒に行ってくれました。

初診のため、問診票を書くようにと見開きのボードを渡され開くとそのボードいっぱいに用紙が綴じられていて、自分の生い立ちや現在などを細かく記入するようになっていました。どう見ても内科ではここまで質問されないんだろうけど私はもう仕方が無いと、偽りなく自分で記入をしました。

もう書くことでさえ疲れてしまう程で、先生の手元に渡ってからの見開きボードを見たら、あれが私の書いた文字なのだろうか。信じられない、字も殴り書きで先生読めるかな?と急に不安になる程でした。私はどん底でした。

先生は私の話を聞くだけ聞いてくれて、問診票を見ながらの質問をされ話している内に涙が出てしまい、その後は母と先生が話していましたがその話を聞いてまた涙は止まることはありませんでした。先生は「こんな年齢も若くてまだ新入社員レベルの子に対してこれだけの大手さんがそんなことするんだね。なかなかないんじゃないかな?あまり他の先生からも聞いたりしません。もう会社に行ったらダメ会社のことは当分考えたらダメゆっくり今は休む事。自分がちゃんとしていないと何もできないんだよ。それくらい普段のあなたなら認識できるよね?でもよくここまでこの長い期間耐えたね。それは褒めると言うのかすごいと言うのか、その性格がある意味今回は裏に出てしまったんだね。辛いなら辛いって言った方がいいんだよ。経歴からしてあなたは責任感が強かったり結構真面目で少し頑固さんなんだと思う。本当に可哀想だよ。」

先生からの言葉で私はやっと家族以外からの人からも、自分がされてきたことは間違っている。私は悪くない、会社に行ったらいけない、休むしかない。私はやっと解放されるもう言われなくて済むんだ。と嬉しくて涙がまた溢れてしまいました。

初診時は気持ちを抑えるような頓服薬と診断書をいただいて、家に帰宅し週明け朝一で会社に病院を受診し、休職宣言が出ましたと会社の相談窓口へ連絡をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話はここで一旦終わりますが、休職宣言が出てからこの記事を書いている今も私は休職宣言継続中です。

今となったらあっという間に感じている約2年間を記事にできたらなと思っています。

 

 

会社復帰のリハビリのためブログを始めましたので、まだ気持ちも上手く伝えられているのか、ちゃんと内容が分かるような記事になっているのか少々不安ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。

社会人×年目の関ジャニ∞が好きな私が、なぜ抑うつ状態と病名がついてしまったのか。その1

初めまして。

このようなタイトルのブログから始まったのにもかかわらず、アクセスしていただきありがとうございます。

脈絡も無く、言いたい事をただ言っているだけです。長いのでお許しください。

読んでいて気分が悪い場合はやめていただいて構いません。

 

最初にこれだけは言わせて下さい。

 

何より自分を大切にしてください。そして私のようにならないでください。

 

 

もう遡ると約2年前からタイトル通りの病状が続いており、現在休職中です。

ですが今はだいぶ回復し、外出や遠出も診断当時より圧倒的に1人でも出来るようになっています。

なぜ今回ブログを始めた理由は、昨年、私と同様の方のブログ記事(以下、リンク先。)をTwitterを通して目にする機会があり、私も今、苦しんでいる人のためにどうにかならないものなのか、など、どんな形であれ辛く苦しい人やもしかして私ってそうなのかな?あるいは友人、同僚がもしかしたら…。とこんなことをわざわざブログとして残しておくのもなんだかなあ、と感じていましたが、関ジャニ∞ファンだけではなく様々な方に目に留まっていただけたらなと思い、残させていただきます。

都合上、なんか端折られてる?と感じる部分があるかとは思いますが、その点は申し訳ありませんが私の気持ちを察して読み取ってください。

hamamichi.hatenablog.com

私はこの方より年上で、一応それなりの企業に勤めるいわゆるOLってやつです。

仕事量は忙しい時は忙しい、暇な時は暇。とある意味メリハリがあり、忙しいと言っても私の場合残業は週5勤務で6時間なんて無いほど、周りの社員の方からも「急ぎじゃないなら帰りなさい。」と言ってもらえるような環境下だったので仕事面に関しては人間関係も良好でした。

 

問題はここからなんです。

 

私はある持病(特定疾患とか障がい者手帳が発行されるような重病ではありません)があり、それは今回の抑うつ状態と病名がついてしまう異動前の職場では疑われたりすることは一切なく、休暇取得時には有給休暇や特別休暇を使用していました。

ある日、異動後の職場で異動前の部署同様の形で休暇取得をしたら、指摘され疑問に思いましたが、それは確かに異動前の職場が人員的な面でもイレギュラーだったため仕方が無いと私も感じ、現部署の正しい休暇取得方法で使用することにしました。

休暇取得後の翌日。

いつも通り、出社をした私に上司が部内全員に聞こえるような大声で入口にいる私に対して休暇内容(持病)を言ってきて、部内の空気が一瞬で重くなりヒソヒソ話があちこちでスタート。私は今までに無いような感情が生まれ、恥ずかしい、どうしようなんて可愛いものではなく、今後私は休暇を取ったらすべてそう思われてしまっても仕方が無い、こんな持病で休暇だなんて他の部の人に知られたら馬鹿にされる。と異動直後に嫌な思いをしました。

その日は私のことを気遣ってくれたのか、逆に話かけにくくなったのか部内の人はまったく声をかけてくることは無く、次の日は優しい先輩(Aさん、男性)がいつも通り仕事とは関係のない話もしてくれるようになりましたが、どこか壁と言えばいいのか目には見えない心の隔たりを感じるようになりました。

 

それからの日々と言うものは今でも思い出したくないくらい辛い日々の始まりです。

 

ある日のことです。上司に会議室へ呼び出され何かあったのかな?私が仕事で何かしてしまったのか。など色んなことを考えていたら、用件は私の持病についてでした。

いつからその持病はあるのか。」「病院へは通院しているのか。」「誰か他の社員に相談した事はあるのか。」「病院へ通院して薬をもらっているのか。」「休暇を取得した日はどのように過ごしているのか。」「検査などは受けているのか。」「持病を改善するようにどうにかならないのか。」「××さんはあの病院がいいと言っていたし、会社にいても通院しやすいから変えてみたらどうだ。」など質問攻めでした。

 

なぜ私は今、上司にこんな質問をされ答えなければならないのだろうか。

家族でもないただの会社で上司って存在の人に私の話したくない身体的なことを伝えなくてはならないのか。と考えた瞬間、頭がグワングワンと誰かに回されているような気持ち悪さと胸がズキズキと経験したことのない痛みを感じましたが、言わないと今後働いていくんだから仕方無く、正直に話しました。

おそらく30分くらいの話し合いだったはずですが、体感的には3時間くらいに当時は思っていました。

夏季休暇取得(学生さんで言う夏休み)も自由に取得ができる会社なので、お盆休みに休む人もいればあえてお盆休みは働いて、その前後など様々な形で休暇を取れる選択肢があります。

私も関ジャニが夏にライブをするなら…などと思い、すぐに休暇日を決めないで申請はギリギリでも可能だったこともあり、休暇取得が会社全体で可能日以降もいつにしようかな~、関ジャニもライブしないから、友人や恋人や家族との予定のために連絡取り合ったりしないとな~なんてゆっくり考えていたら、「××さんさ、休暇をまだ決めていないし××××(持病)のために残しておいて休み取ったら?それの方が自分のためにもいいんじゃない?」と以前よりは小さい声でしたが、周りの先輩に聞こえる声で言われ、恥ずかしくなってしまいましたが、その場で少し反抗をし急いで予定を決め、持病のために休暇を1つも残さない形に私はしました。

だって、持病のために休暇を取得しなければならない。なんて就業規則を確認しても休暇取得規則も確認しましたが記載されていなかったからです。

上司は上司なだけで、もしここで文句を言われたら次長や部長に相談をしよう。と考えていたのでまだ気持ち的には余裕がありました。

夏季休暇を無事取得し、持病が辛い時は特別休暇や休暇取得を会社の規約に従ってきちんと使用し続けていました。

月日は流れ、冬季休暇の季節に。冬期休暇は夏季休暇よりは期間も短いためそのようなことは言われず年を越しました。その間も休暇を取得した際は大声、みんなの前でのあれこれは言われなくなりましたが、ついに会議室に呼び出されるように。

すべて業務時間中でしたが、周りの先輩方はどう思っていたのかは知りません。

私は、私が退社後にあれこれ言ってんだろうな。と今まではそんなことは思ったり考えたりタイプではなかったのに気にするようになりました。

 

 

春になり、新入社員さんや異動で誰か来てくれないかなと微かな望みを持っていましたが、叶いませんでした。

もう私が異動して1年経つし、周りの人がどう思っていようと私は病院にも通い、検査も受けたけど手術をする必要はない。同じように苦しんでいる人はこの世の中にたくさんいるから辛い時は会社を休んで身体を休める事、と病院から言われている!これからも薬を服用し続け、辛くならないように自分で予防はできるかぎりしていこう!完治と言った選択肢はないから仕方が無いんだ!辛くなったら休むしかない!と自分に言い聞かせて(自暴自棄)いました。

 

これ以降、上司だけではなく、1番年齢も近く職務についてアドバイスをいただいていた先輩(Bさん、男性)からも持病について上司と一緒だったり、その先輩(Bさん)だけからも会議室に呼ばれ、あれこれ言われるように。

呼び出されるタイミングは、主に休暇取得後の出社した日や私が給湯室や化粧室から戻ってくるのがいつもより(上司や先輩の中でおそらくその時間勝手に決めて、計り、見ていたとしか思えない)遅いと感じたり、ひどい時は私が同期とエレベーターホールでエレベーターを待っている際に話をしているのを見かけたらしく、それでさえ意味の分からない理由をつけられあれこれ言われるようになり、同期と会うのも嫌になり化粧室にいても、先輩方がいなくなったなと感じたら個室から出て急いで手を洗い、化粧直しをして席に戻る。そんなことをするようになっていました。

会社で先輩たちや同期はタバコを吸いに行ったり飲み物を買いにコンビニへ出かけるのに私は休憩もできない、どうしたらいいんだろう。と考えるようになり、もうこの時は会社に行くのが嫌になり、まだ短い人生だと思いますが今まで生きてきた中で1番辛かったです。

 

 

唯一、家に帰るのはとても嬉しく、家族がご飯を作ってくれたりお風呂の用意をして待っていてくれたのは何より救いでした。

家族を困らせたらいけない。そう思っていた私は、まだこの時点では今の辛いことを伝えられていませんでした。

いつも家族がお昼ご飯のお弁当を作ってくれるのですが、会社に着くとお腹が空いている、喉が渇いたと言った人間の生理的欲求面でさえ微塵も無くなってしまい、お弁当も少しは食べないと心配されるからといったそんな理由でおにぎりを半分だけ食べたり、おかずを少しずつ食べたり、デザートだけ食べたりなどほんの少しだけ食べて疲れているから食べられない、と嘘をついて1ヶ月くらいやり過ごしていました。

 

その間も、当たり前ですが上司や先輩(Bさん)には会議室へ呼び出され言われていましたが会社にはちゃんと行っていました。

でも化粧室や更衣室で会う他部署の女性先輩方からは「ただでさえ色が白いのに最近顔色どうしちゃったの?」「元気が最近ないよね。何かあったの?」「その顔色でファンデーションする意味ないって。」と言われるようになってしまい、自分の顔を鏡で見てもなぜそんなことを言われなくてはならないのか分からなくなっているくらい、自分のことが何も分からないようになっていました。

でもこんなの一瞬のことだろうし私はこんなんじゃない。弱くない!と思い込み、自分のことは自分が1番知っていると大きな勘違いをしていたことに気が付いていなかったんです。

 

その2へ続く。